スペシャルインタビュー 中野信治 選手
「がんばる」とか「努力する」といった言葉はあまり好きではない。心の底からなにを求めているのか、どこへ向かうのか、向かおうとしているのか――手に入れたいもの、目指す方向性が明確にある人にとって、それはあまりにも自明で当たり前のことだから。
この世界に生まれてきたすべての人にはそれぞれの役割があると思う――。僕の場合、たまたまレーシングドライバーという役割を見出し、それを達成するために40歳になった今も走っているだけのこと。世界三大大会に参戦しモータースポーツ界のすべてのカテゴリーを体験した現在も、「世界でNo.1になる」という目標は変わらない。その過程で、やるべきこと、やらなければならないことは自ずと見えてくる。僕は天才ではないし、他人と同じこと、同じ練習をしているだけでは絶対に上へ行くことはできない。今の自分を見つめ、自分を極限まで追い込み、自分を磨く。僕はそれを実践するだけ。簡単ではないが、辛いとか苦しいと感じたことはない。どこを目指すのか、思いと意識が自分の中に明確に見えていれば、苦悩の連続は楽しさに変えることも可能だ。それは特別なことではなく、自分の役割や職業を持っているすべての人にとって同じことだと思う。間違いなく。
信じれば叶う――。これは僕の座右の銘だ。目標のために最大限の生き方をしていれば、奇跡のような出会いが生まれる。ひとつひとつの出来事、人との出会いはすべてに意味があり、つながっている。たくさんの人との出会いを紡いできた結果、今ここにいる僕が叶えられたと思うし、未来の僕を叶えてくれると確信している。
6月11日、僕はル・マン24時間耐久レースに参戦する。フランスへ向かう前に被災地をこの目で見たいと思い、知人の医者とともに医療スタッフとして東北を訪問した。表現する言葉は見当たらないほどの惨状と苦境――そんな中、僕の心を大きく動かしたのは、東北の人たちの弱音や愚痴を一度も聞かなかったことだ。彼らから聞いた言葉は「ありがとう」だった。僕は、今年ル・マン24に参戦する唯一の日本人として自分の目で見た東日本大震災をヨーロッパの人たちにメッセージしたいと思う。そう、「ありがとうfrom JAPAN」と。
1971年大阪府生まれ。レーサーだった父の影響で11歳よりカートを始める。16歳でカートの世界大会を制すると、18歳で全日本F3選手権でフォーミュラーデビュー。フォーミュラーニッポンを経て、1997年、日本人で5人目のF1ドライバーとして「プロスト無限ホンダ」よりデビューすると、ルーキーイヤーで2度の6位入賞を果たす。その後、米国CART選手権やインディ500など名立たるレースに参戦し、2005年よりル・マンへ本格参戦。世界3大レースの、F1モナコGP、インディ、ル・マンのすべてに参戦した、日本人初のレーシングドライバー。2009年、岡山県・岡山国際サーキットで開催された「アジアルマンシリーズ」で総合優勝を果たす。中野信治オフィシャルサイト http://www.c-shinji.com/






